サンキューハザード jackバージョン    ob会東北 茂木淳一

 今となっては記憶も定かでなく申しわけないが、確か1971(昭和46)年だったと思う。私が初めて手に入れた中古車は白のサニークーペであった。親交のあった整備工場の親父さんに頼み込んで分割払いで手に入れた。

  昭和49年頃は三菱コルトに乗っていた
  昭和49年頃は三菱コルトに乗っていた

 そのあと、数えて9台を乗り継ぎ、来年2月に購入予定のクルマが実に10台目となる。あと何年運転できるかと考えると、多分これが最後のクルマになるのだろうとチョッピリ寂しい感がする。  

 そんな気持ちを背景に私がこれまでに乗ってきたクルマをテーマにしようと考えたのだが、正直これを決めるまでかなり躊躇した。というのは、私のクルマ遍歴は実に地味で実用的なクルマばかり。決して他人に誇れるものでは無いからだ。換言すれば私の人生と同じ歩みをしてきたクルマの変遷の記録とも言うべきものなのです。期待はずれの場合にはご容赦のほどお願いします。

 

 中古車のサニークーペのスタイルは当時としては抜群に良かったが、故障が頻繁に起きるのには閉口した。とにかくヒューズがしょっちゅう切れ、そのつど交換をしなければならないのだが、交差点のど真ん中でも突然によく止まった。そんなことだから格好悪い!と、終いには隣の席に座ってくれる女性も居なくなってしまった。でもデキの悪い子ほど可愛いの例え通り、愛すべき第一号車だった。その後は大衆車であるブルーバード、コロナなど生活の臭いのするクルマを乗り継いだ。

上写真と同じコルト 蔵王エコーライン春の開通時の雪回廊での一コマ
上写真と同じコルト 蔵王エコーライン春の開通時の雪回廊での一コマ

 20代後半からは4WD車に魅せられ、ジムニーSで夏は砂浜を走り回り、春秋には山菜採りに道無き道を山奥まで走り回った。その後もレオーネ、タウンエースGと続いた。

 レオーネツーリングワゴンには思い出が一番多く詰まっている。当時はJAFの事務局長で職員の個人車についても点検整備を推奨する立場にあったのだが、家族を乗せて東北自動車道を走行中に県境付近で突然ファンベルトが切れストップしてしまった。定期点検を怠った結果でありJAFを呼ぶにも呼べず、妻のストッキングをひねってベルト代わりに装着し、次のインターまで何とか走行した。短区間とはいえ家族全員をガードレール外の藪を歩かせたことへの罪の呵責を今でも感じている。

 

 また繁忙時期にはロードサービスの支援に出勤することもあったが、砂浜に埋もれたクルマの救援に行ったレッカー車が逆に嵌ってしまい、これを引き出しにレオーネで出動したりと、かなり乱暴な使い方をして最後にはエンジン焼き付けを起こし廃車となってしまった。

自宅カーポートでのVWゴルフ
自宅カーポートでのVWゴルフ

8台目はVWゴルフで、これは知る人ぞ知る販売店の著名社長との付き合いで買わざるを得ず購入したものだが、燃費は7km/ℓおまけにハイオク。3・11の震災でガソリン供給制限時には、何とか持たせるため走行中は極力エンジンを切り、エアコンも止め、曇り止めのために寒い中、窓を全開にして究極のエコ運転で1週間を乗り切ったが、この精神的負担が災いし、夜の無灯駐車場内で柱に激突しこれも廃車にしてしまった。以来、クルマに対する関心は完全にハイブリッドや電気自動車に移った。

 JAF出版社に来て最初は月の帰省が2回程度であり、その時点では、駅前からレンタカーを借り、帰京の際に駅に戻すことで重宝していたが、家庭の事情でほぼ毎週帰省となるとレンタカー代金が異常に嵩み断念。残り年月から使用期間を割り出し残価設定型で車両を購入したのが9台目のフィット。この設定期間満了時の次即ち10台目を何にするか迷ったが先日漸く決定した。あまり知られていないHONDAヴェゼルハイブリッド。クルマ自体にはさほどの関心はないのだが、指定色であるワインレッドが気に入って決心した。

 

 知り合い達からは「飲兵衛だから最後もWINE(ワイン)で締めかよ!」とからかわれている。

終わりがよろしい様で、それでは皆様ごきげんよう!

             (この文は同氏がJAF出版社退任時に出版された『Jackの目』よりの転載です)