今まで乗ってきたクルマたちに感謝、感謝!  OB会関西 中西寛治

1.今まで乗ってきたクルマ 

 

少年期=自動車が殆ど無い時期 

青年期=自動車が珍しい時期  

成年期=マイカー時代幕開け期 

その後=自動車全盛期 を一貫して「クルマ」に乗り、そして大いに楽しんできました。 

感謝!感謝!

(上写真)トヨタトラックGB、 皇紀2601年式 (西暦1941年式)

場所 神戸大学本館前

状況 昭和28年頃、既に“木炭"からガソリンに戻されている。

特説 このトラックは部員の運転練習を主目的に、助教授の宿替え、馬術部の飼い葉(藁)の運搬、ボート部の8人用レガッタの運搬等々資金稼ぎにも大活躍した。

運転席キャビンは木骨鉄板張り、船大工が造るものと聞いている。

現在の常識からは信じ難いが意外と良く出来ていた。

また、デフにはシボレーのバス用のものが装着されていて、スピードが出る設定でもあった。

マツダオート三輪とトヨタトラック

場所 神戸大学講堂前

状況 昭和26頃、珍しく部長先生が加わった写真。

特説 オート三輪(1938三式?)は神戸マツダから寄贈された中古車で無登録、校内のみ運転と云う特殊状況にあったが多くの部員の運転練習に役立った。

①生徒・学生時代 昭和23年に14歳で初めて乗ったのがオート三輪の「くろがね号」。

神戸大学自動車部時代は1941年式トヨタGBトラック、36年式シボレー改造トラック、35年式プリムスセダン

②青年時代=中古車ばかり   損保(日本火災海上)時代 昭和30年から55年式クラウン(ポンコツ)、54年式 トヨペットスーパー(ポンコツ)、59年式オースチンケンブリッジ、62年式ブ ルーパードDX  

③成年期(JAF時代) 連盟のセドリックとクラウン等多数

④成年・老年期=無難なセダン   平成4年式カローラ、平成7年式クレスタ、平成10年式ビスタ、平成13年 式クラウンアスリート・ターボ、平成16年式ゼロクラウン・アスリート、平 成23年式プリウス(現在使用中、4年間で走行距離7772km)

 

2.そのクルマを選んだ理由  

 

①38年式くろがね号 家業で使用していたもの。昭和21年に14歳で初めて運転しました。特に選んだ訳ではないが忘れ難い車です。

 

②41年式トヨタGBトラック 大学1年生の時の自動車部の練習車で木炭車→ガソリン車に。この車は戦時中に軍から寄贈されたものですが、キャビンは木骨鉄板張りで今の人々には理解不能な水準でしょうか。

 

③33年式シボレー改造トラック 自動車部の1年先輩から寄贈されたもの。

④35年式プリムスセダン 神戸大学の資金援助と神戸製鋼所の先輩課長の好意のお陰で取得出来た貴重な経験をした車。学生には“贅沢な”車で年式が古いにもかかわらず、4輪オイルブレーキ、オイルクリーナも装着されていました

 

⑤55年式クラウン ポンコツながら人生で初めて購入した第1号マイカー。クルマを所有出来る大きな喜びは恐らく皆さんお解かり頂けないと思います。  

 

⑥59年式オースチン 中古車探しの時に58年式デラックスと59年式スタンダー ドの2台が候補となったが、年式の新しいのを選びました。このマルマは日産 が技術提携して製造したもので、誠に好調、ポンコツを卒業し他大学の自動車 部OBとドライブを楽しんだ最も嬉しい車の1台でもあります。  

 

⑦62年式ブルーバードDX 姿に惚れて比較的安価に買ったのですが車検整備が高額になってしまった忘れ難い車です。  

 

⑧連盟時代の多くのセドリックとクラウン ちょっとした工夫で「走行性能優秀」「静粛性抜群」の車を愛用させて頂きました。   

 

⑨平成4年式カローラ 東京勤務の時に娘の希望で購入した。個人所有新車の第1号車です。  ⑩平成13年式クラウンアスリート・ターボ 大阪トヨペットの西川取締役のお勧めで購入しました。2.5リッターながら抜群の馬力(280馬力)と素晴らしい加速力が気に入って即購入しました。  

 

⑪平成16年式ゼロクラウン ⑩のターボアスリートが無人トラックに右前フェンダーを引っ掛けられて大きく損傷しました。引き続きターボ車の新車の購入を望んだのだのですが、ターボ車が生産中止で止むを得ず、出始めのゼロクラウンに乗り換えました。  

 

⑫平成23年式プリウス 歳をとって、大きな車を重荷に感じ始めて、環境問題の意識と気掛かりもあってプリウスに切り替えました。

 

 

3.その車が(私に)もたらしたもの  

 

①38年式くろがね号  日本内燃機工業の、今で云う「取扱説明書」がありました。A6版20頁弱の簡素なものと記憶しますが、エンジンの構造、エンジン始動法、クラッチの説明・操作(ダブルクラッチの解説)やメンテナンス等の簡明な記載がしてありました。 14歳の少年にとっては誠に興味深い内容で自動車と操縦の基礎知識を2~3日で学習し、その結果、指導を受けることなしでオート三輪の運転が出来たのです。簡素な資料が私の自動車構造理解に非常に役立ち、その後の私の人生に大きな影響を与えるものとなりました。 当時の一般的な「輸送手段」は荷車、リヤカー、運搬用自転車で、人が大変な汗を流し苦労して運搬するものでした。若干能力の大きなものが馬車、牛車であり、その時代のトラック、オート三輪の「機動輸送力」は異次元的なインパクトがあり、私を自動車好き人間に誘導した大きな要素になったと思います。また、このくろがね号は、当時主力のダイハツ号、マツダ号が空冷単気筒で通 称通り、正に「バタバタ」音であったのに対して空冷V型2気筒、静粛エンジ ンは「カサカサ」と軽い音で爽やかに走行し、一段階上級の誇りを感じさせる 程のものでもありました。これがひょっとすると、私のその後の趣味のオーデ ィオやカメラの贅沢傾向をもたらした一因かも知れません。

 

②41年式トヨタGBトラック  木炭車は“燃料ガス”を発生させるのが困難であってエンジン始動までに1時 間か、それ以上くらいは掛かるものでした。ガス発生釜は鉄製の大きなもので、 直径70~80センチ高さ(深さ)1.5メートル位だったでしょうか。トラック の荷台左前方、運転席のスグ後方に荷台を切り取って装着されています。ガス 発生釜の上部には大きな蓋、下部には頑丈な“すのこ”と灰の取り出し口があ ります。 このガス発生釜に木炭を細かく割って入れ、それに火を付けて木炭(C)を二酸化 炭素(CO2)にし、その高温CO2ガスを未燃焼の木炭の厚い層の中を通過させて 還元して一酸化炭素(CO)に変性して、これを燃焼させて動力とします。   非常に脆弱なエンジン出力(ガソリンの1/4~1/5程度?)で、走行中絶えず吸 入空気(チョーク)バルブを絞ったり開いたり「ご機嫌伺い」の「ノブ」操作が必 要であり、左手の手首の筋肉痛が伴う位難儀なものでした。また、燃料ガスの 一酸化炭素ガスは同時に有毒ガスでもあり、多くのドライバーが軽いガス中毒 で頭痛に災いされ命を落した人もあったのです。 ガソリン不足を何とか凌ぐためとは云え、日本人は、よくまあ、こんなものを 工夫して考案するものだと感心もしましたが、毎回の木炭割り、燃えカスの除 去、30~40分にも及ぶ手回し式送風機のハンドル回し、発生ガスの試燃と その時の炎の色(悪いガスは青火→黄色→良いガスは赤火と変化)に基づく最適 チョーク具合の“推定”には職人芸ないし名人芸が求められるものでした。 代燃システムには「薪炭=乾燥くぬぎ木片」や「コーライト=亜炭=極悪質石 炭?」もあって、木炭車はまだ“良くて楽”と云うのが当時の常識でもあって、 こんな苦労をしなければ自動車を使うことが出来なかったのです。何があって も動じることなく、何事でも乗り越えられる「粘りと根性」が得られたのは、 この苦難・難儀な経験であったのかも知れません。 追加的な内容になりますが、木炭車のガス釜には「釜底に“水”を点滴する」 方式が採られ、水の意外な効果を使っていました。ガス発生が立ち上がって釜 が暖まると、外部装着の「水の容器=分厚い鉄板製、大型弁当箱を立てた様な もの」に装着の小さなコックを少し開いて水の点滴を行います。これを忘れる と「運転していて“何となく調子が出ない”もの」なのです。点滴された水が 水蒸気とガス作成過程で分子的に作用して“良好なガス”に繋がると云われて います。 この経験で後年課題となった「環境課題」克服段階で絶えず“水添加”の発想 になり、例えば、東大の旦理先生や平尾先生に提案したことがあります。先生 方の知識ストックにはアルコール添加とかLPG活用要素があって、分子の世界 ではアルコールと水は“親戚”なので良いかも知れないと云うお話でした。 ※私には“水”活用の多くの内容がありますが割愛しておきます。   また、このトヨタの最初の自動車は「シボレーのエンジンとフォードの足回り」のコピーであることは有名ですが、我々のトラックのデフギャーは本来のフォード用のものではなく、シボレー用のもの(バス用)が装着されていました。その関係で走行速度が速い特性を備え(一種のチューニング?)ていました。フォード規格のトラックのデフハウジングにシボレーのギヤーがそっくり“おさまる”と云うことは、アメリカ製部品が互換性に富み、その優れた設計思想がアメリカ自動車産業発展の基礎を確立していたらしいことを推測させてくれます。  日本のメーカーに必要な見識と考えています。

 

 

③33年式シボレー改造トラック  奥野さんと云う1年先輩のお父さんの電線販売会社の運搬用の改造トラックでしたが、戦時中にエンジンが故障して修理のためにエンジンシリンダーのスタッドボルトを緩めた状況で雨ざらしにされていました。寄贈を受けた時はエンジンの中に雨水が入って「赤錆状態」と絶望的状況のしろもの。クランクハンドルでエンジンを回そうにもビクとも動きません。こんなものでも寄贈して頂けるのは有難い時代でもありました。 これを兵庫トヨタ本社工場で何とか修復して頂きました。我々はバルブ摺り等に動員されたのですが多くの部員が色んな作業を手伝って、エンジン知識を学び技術を習得しました。 修復後も問題だらけ。6気筒エンジンのシリンダーヘッドは4番気筒の排気バルブのバルブシートの所に割れ目(クラック)が入っていました。吸入ガスの圧縮に難点があるし、割れ目からは冷却水がリンダー内に漏れると云う重大な欠陥かありました。しかし、毎回、運転終了後にラジエーターの水を抜いて帰る方式で何とか克服しました。時に「水抜きを忘れて帰る」と、次回は、4番の気筒内に水が“溜り”エンジンが掛かりません。そこで4番のプラグを外してクランクハンドルでピストンを上死点の位置に持ってきて「ウエス」で水を吸収させる対応が必要でした。しかし、エンジンが掛かってしまうと好調そのもの正直不思議な感じがしました。 クルマの状況がこの様に“貧弱=問題外”であったので車検受けは日頃の川井自動車整備も(成績悪化を理由に)辞退されてしまい、自動車部が神戸大学として直接兵庫陸運事務所の検査場に出向くハメに陥り、1年生にもかかわらず私が出向くことになりました。 検査官は1年の合格期間はやれない。本来なら不合格だが学生さんだから大目に見て3ヶ月の特例が“せいぜい”と宣告する。それを少しずつ。ネバリにネバッてお願いして9ヶ月間にしてもらいました。結果、川井自動車整備の社長には“吃驚され”“呆れられ”“大いに褒め”られました。こんなことが原因でしょうか?入社した日本火災海上で、Fさんと云う“お局さん”に「誠に“世間なれ”している。3年間の浪人間違いなし」と現役入社を認めて貰えなかった位でした。

シボレー1933年式改造トラック

場所 自動車部ガレージ前

状況 昭和26年頃多くの部員と共に。クルマが良く見えないのが残念。

特説 満身創疾ながら最も多くの免許取得者を育てた“功労車"。3・数リッターの高馬カエンジンだが、ロッドブレーキ方式の上にブレーキドラムが磨り減つていて、ブレーキシューが拡がるとドラムが少し拡がり、制動力貧弱の弱点があった。しかし、米車の魅力に満ちたクルマでもあつた。

④35年式プリムス 大学の援助枠「10万円」は新田先輩(主将)の尽力で得た貴重なものでした。この枠を実行出来る幸運に恵まれたのですが、計画は車両購入に6万円、修理 ・車検費に4万円でした。大卒初任給が5千円未満の頃でしたが6万円の予算では中々適当なクルマが見つかりません。半年以上、勉強そっちのけで神戸近辺の総ての候補該当車を調べ小当たりしました。どれ程調べに努力したか?例えば、旧い黒塗りのフォードセダンが走ってくる。あれは37年式、持ち主は「樟脳を扱う○○会社」、走行距離は6万キロ、運転手は運転上手で修理工場も良い所で手入れにも金は掛かっている。しかし、売ってはくれない。この様に近辺の殆どの旧いクルマには精通する位頑張っていました。 部車購入の見通しが全くなく、困り果てて半ば諦め掛けた頃に一人のブローカーが「神戸製鋼所の車」の情報を教えてくれました。神戸製鋼所尼崎工場のプリムスセダンで非常に程度が良い。“大学の卒業生名簿で先輩を頼って頼め”との嬉しい話です。早速に名簿で長尾さんと云う先輩を捜し出し電話で「“10万円でお譲り頂けませんでしょうか”と云う勝手なお願い」をしました。「そのクルマは既に尼崎工場の手から離れて本社の管理になっています。しかし、神戸大学にお譲りするのは望ましいことなのでやって見ましょう」とのことでした。数日後この一縷の望みが叶って、わが自動車の部のエースカーとなってくれました。 最初に情報をくれた人は顔見知り程度の人でしたが、私の必死さを伝え聞いて教えてくれたそうです。神戸製鋼所は18万円で下取り契約済みのものを10万円で、損を承知で譲って下さいました。見ず知らずの長尾先輩の好意をはじめとして、その他多くの方々の応援やアドバイスで実現したミラクルと後日分かりました。 未熟な一人の若者にとってのこの貴重な経験は素晴らしく“大きく”以降の私の人格形成にも良い影響を与えてくれた様に思います。

プリムス1935年式

場所 自動車部ガレージ前

状況 ジャッキアップして右フロントホイール脱着中の中西

特説 大学の援助を得て、神戸製鋼所から特別扱いで譲って頂いた車で、素晴らしい状態での、学生には超贅沢なクルマ。非常に大切に使用した。

エンジンはサイドバルブながら高性能。キャブレーターは本来「ストロンバーグ」なのだが入手不可能だったので「カーター」(シボレー・トヨタ車用)の新品で代用したが、快調そのもの、全く問題はなかった。

特に、世間ではダッヂ(クライスラー系の総称)はシボレーやフォードより言品質(=かたい)との定評があった。また、プリムスは1934年式からオイルブレーキに変更されていて、毎週のキメ細かいヽ“ブレーキ調整"で六甲の急な下り坂でも信頼性豊かな制動能力を誇っていた。

 

 

⑤59年式オースチンケンブリッジ  このクルマにも、私流の中古車の手入れの原則通りの諸作業を行いました。各ウインドウのチャンネル痩せを原因とする窓ガラスの振動・異音への対策としての「窓枠と“痩せた”布チャンネルとの間に“名刺紙片”を何枚か重ねて詰めてガラスの振動押さえ」で新車に近いフィーリングに誤魔化すこと。手回し式窓ガラス・レギュレーター(歯車)に給油して窓ガラスの上げ下げを滑らかにする。電装品、特にイグニッションコイルの新品装着。塗装面のアカ落しやクロームメッキの曇り除去等の“独特の対策”なのですが、私にとっては大きな楽しみと同時にコストパーフォーマンス良好の作業でもあった訳です。 併せて、このクルマの時にエンジン調整に挑戦しました。点火時期を少し早くしたり遅くしたり、点火プラグのギャップの変更、気化器のアイドリング時の濃度をリッチにしたりリーンにしたり、しばしばタペット調整を試みたりと様々な挑戦(=イタズラ)をしました。 その結果、ガソリンエンジンについて大変な勉強となりましたが、特にタペット調整が得意になって大いに楽しみ高い評価を得る様になりました。  腕の良い職人さんに教えを請い   ・バルブクリアランスは標準より多めが不可欠。少ない(狭い)と排気バルブ本体が冷却不足になりオーバーヒートして、異常燃焼を来たしてエンジン不調となる。加速も悪くなるから「広め」のタペット。エンジン音を静かにすることを考えて「タペットをつめ」ては駄目。  ・調整に必要にマイナスドライバーは取っ手の“太い”もの、標準的太さのものでは精密な調整は出来ない。シクネスゲージは使い古したもの(新品ならどうしても狭くなるから要注意)、動間調整の場合のメガネレンチは慣れたもの、素人の“増し締め”はエンジン停止で、また、“増し締め”で少しタペットの間隙が狭くなるのでその分“より広く”調整すること。  等々指導され、直ぐにマスター出来る様に腕を上げました。

 

⑥62年式ブルーバードDX  良い出会いと一目ぼれ的に買った中古車でしたが“手痛い失敗”でした。整備工場へ向かって名神高速を走行したのですが「軽いメタル音」が出ているではありませんか。街中の試乗では発見出来なかった不運なのですが、その後の対処が今考えると“不適切”、徹底修理でのぞみ、かなりの出費をするみとになってしまいました。 選択した、贅沢過ぎる修理は次の通りです。エンジンボーリング、クランクシャフト研磨、当然親メタル・子メタルの交換、カムシャフトの交換、バルブ・ロッカーシャフト及び全ロッカーアームの交換、バルブリフターの交換等々で 残したものはエンジンブロック本体、シリンダーヘッド、コンロッド、プッシュロッド位の徹底振りで殆ど新車に近い状態にするものでした。 修復後に発見した“課題”が一つありました、それは、これ程徹底修理したのですが、残念なことに「アイドリング時のエンジンのかすかな“ブレ”がどうしても除去出来なかったことです。 仲間での推論は「各気筒の“コンロッド+ピストン+リング”の重量に20グラム~30グラム程度の差があったのではないか。それ以外の原因は考えられない」と云うものでした。 しかし、このクルマは快調そのもので大満足、後悔はしませんでした。

 

⑦平成4年式カローラ  自分の好みからすると4段オートマティツクトランスミッションの変速タイミングに課題を感じたり遮音問題でボンネット裏に遮音マットを装着する(ディーゼル車用)など安価な車の特色を仕事で常用している“クラウン”との比較でいやな気分で学習しました。クルマと云うものは、グレードを落すことには中々に耐えられないものです。

 

⑧平成13年式クラウンアスリート・ターボ  直6、2.5リッター ターボはトヨタにこんなクルマがあるのかと“吃驚させられる”程バワフルなものでした。開発当初はツインターボだったそうですが購入車はシングルターボで、外観は通常のおとなしいものでした。  瞬時に時速100キロに達する驚異的な高馬力と外装・内装の上質感、加えて、クラウン独特の足周りの“柔らかさ”がある「アンバランス」が私にとっては楽しい性格の面白いクルマでもありました。例えば、緩いカーブの少し下りの坂道で「足回りの弱さを推測しつつギリギリの速度コントロール・ハンドル捌きで走行する」のは怪しげな世界で少し緊張を必要とするのですが結構好きで楽しい瞬間でもありました。普通なら「危険・難儀」となる筈なのですが、これが私にはむしろ好ましい、変な優越感が得られる感じのものでした。 この車は近くの交差点で無人の4.5トン積トラックに引っ掛けられてかなり破損しました。 下り坂交差点で右折信号待ちしていた所、反対車線の坂り上で配送先を探そうと運転手がトラックの車外に出た時にサイドブレーキが外れて逆走転がりし、トラックの右荷台後部が、こちらのクルマの右フェンダーをもぎ取り気味に引っ掛け、更に、交差点を斜めに突き切って前方左側歩道の所までころがると云うていたらくでした。 もう1メートルこちらの運転席側に寄っていたら重傷か死亡になっていたことでしょう。相手の保険で70万円の修理をしてもらいましたが、修理完了後に近くの能勢電の踏み切りを通過した折に「事故の逆サイドの左側足回り」に“かなりなガタ”が出ているのに気付き車両入れ替えの決心をしました。 単なる左足回りの“ガタ”なら、高価であってもゴムブッシュの交換で何とかなった筈なのですが世間で良く聞く“縁起の悪さ”が主因かと思います。 その結果、下取り査定で「約50万円の事故落ち損」を経験し自動車保険や自動車販売の世界の多くの知識を得ると共に相当な損害を蒙った次第です。 次のゼロクラウンに乗り替えたのですが、事故がなければ恐らく今もこのクルマを乗り続けていると思う位のお気に入り車でした。 ※私には、やっぱり“クルマは走り”なんです。

 

⑨平成16年式ゼロクラウン ご承知の通り、トヨタがF1に参入して信じ難い「足周りの進化」が実現していて購入しました。かなりの試乗で、その進化を確かめてから購入したが、アスリートを選択しました。グリップの良さからクラウン特有の乗り心地の良いロイヤルは選択しませんでした。 まあ、トヨタがこれ程の車を造るのかと感心じたものですが、出来が良過ぎて私には面白くない“優等生”であり意外に早く乗り換えることになってしまいました。  

 

⑩平成23年式プリウス  燃費の良さには満足ですが、クラウンとの格式の差に驚いたクルマでもあります。近辺は坂が多く、プリウスの「パワーポジション」選択で自動車運転の道楽を続けてはいますが、公共交通が便利な居住環境と運動不足防止のために極力クルマに乗らないこの頃ですので困ったものです。      

 

4.65歳を過ぎたいまのクルマ選びのMUSTは?  

 

①小型車サイズで豊かな馬力、ロングホイルベース、楽しい操作性、贅沢な装備、 優れた快適性を充足する小型贅沢車でしょうか。

 

②加齢に伴う視力、体力、集中力の低下、コントロール能力の低下に関連して「表示文字が大きいこと」や「音声による案内、説明」あるいは老人固有の衰えを補正する注意喚起が設定されることが望まれます。

 

③簡単な話にすると「スモールサイズ“クラウン”」で老人用シートであれば良いのではないでしょうか。

 

④シニアー向け高級車ショップの新設   大組織のメーカーで直接シニアーの夢に対応することは困難でしょうから場合によっては専門ショップで対応することが望まれます。

 

5.自動運転のクルマへの考え方  

 

 自動運転のクルマは大歓迎です。既に各種の開発が進められ、基礎技術はほぼ出来上がっていると考えられます。アメリカでも大々的な社会実験に入っています。間もなく「完全自動運転車」が出現するものと期待しています。   ※老化に伴い、運転免許返上になるかも知れないだけに“熱望”しています。

 既に開発済みの自動停止、危険回避、レーン保持機能、自動駐車とカーナビ機能の向上、更には車々間インターフェイス等だけでも相当な自動化ないしは運転補助は可能となります。  

 

 夢の要素

 1) 完全自動運転車なら、運転免許は不必要となり誰でも自動車に乗り降り出来て目的地設定さえ出来れば「移動可能」となります。

 2) また、自動車にはテレビ、冷蔵庫が装着され、事務所で仕事が終われば自宅なり行き先を設定して「冷えたビールを飲みながら野球のナイター放映を楽しむ」ことが可能になり「飲酒運転違反」の制約から解放されることになります。

 3) もし、全車に自動運転コマンド装置が装着されて道路側の交通管理システムが出来上がると、例えば、幹線道路の走行車両群を車間距離1メートルで適切な分隊車列に集め、その後ろに必要な空間域を設ける方式でコンピューターコントロールすると交差点での信号停止不要なノンストップ走行も可能となります。

 

 その昔、香里団地カークラブ役員の石川さんの求めに応じて、お正月の会報に将来の夢として「電子化で“車間距離”1メートル時速100キロで御堂筋をすっ飛ばす」と云うものを出したことがあります。 今や、ロボット時代直前です。  “人間より正確で勤勉なロボット”に人間がコントロールされかねない状況と考えられています。自動車の完全自動運転の時代は近いことでしょう。

 

6.何歳までクルマを運転していられますか。  

 

 私は現在83歳ですが視力低下の問題がなければ、まだ数年は運転していたいと希望しています。 その含みもあって、ハンドル捌き面では近くの「亀岡街道=片側1車線、カーブとアッフーダウン、ダンプカー多数」に出掛けてプリウスのパワーポジションに設定して“さび落とし”に努めています。

 

7.その他  

 

 自動車ほど人類に役立っている道具はありません。 私の場合は、「荷物運搬」での“優れた機能”から「自動車=トラック」の原点があり乗用車の世界には強くない傾向がある様です。  

 これからの地球上の変化、特に、これから発展する新進国の増加と自動車の増加を前提に考察すると車両の軽量化等が不可欠です。 現状の乗用車1台5人乗り車両重量1500KGは、恐らく2人乗り車両重量300KG未満でないと勘定が合わなくなります。 また、現在の内燃機関主力の自動車はEVにシフトしたり、燃料電池車や電動バイクに変化することでしょう。

 しかし、近年の内燃機関の技術進歩には驚くべきものがあり、何処まで進化するのかが楽しみでもあります。 ・ディーゼルエンジンの燃料噴射の超高圧化(コモンレール)や7~8回以上の分割噴射方式による完全燃焼の実現 ・完全燃焼実現に伴う窒素酸化物対策のための“ディーゼルの圧縮比引き下げによる燃焼温度の引き下げ”とか ・スカイアクティブのガソリンエンジンの高圧縮化 ・欧州における小排気量+ターボ活用での活路開拓。 コロンブスの卵かも知れませんか、日本は大排気量+ターボのままで基本的対処に気付かずこの面で遅れを取っている。

 このまま技術進化が進むと内燃機関の“熱効率”が更に向上し、現在、ラジエーターで冷却(=熱の無駄使い)の必要が無くなる“夢の世界”に近づけるかも知りません。  それと「衝突のない」「全自動」の移動システムと人流・物流の無駄の排除等の合理化を前提の輸送合理化社会に近づくもの考えています。