1.これまで乗ってきたクルマたち、そのエピソード
〇1958年(昭和33年) 軽自動車免許取得
9月1日、16歳(高2)で軽自動車免許を取得した。 試験車両はシルバーピジョンの スクーター。 当時の軽自動車免許は二輪車限定で、その後数年して軽四輪乗用車(スバル360、マツダR360クーペなど)の普及に伴って法律が改正され、軽四輪にも乗れる免許に自動的に格上げされた。
*本文内○数字は所有してきたクルマ(2輪車含む)の台数。説明のない写真は写真上でクリックを。
〇1959年(昭和34年) はじめてのマイ バイク
①ポインター エース 新明和工業製 ●エンジン
:4サイクル単気筒 OHV 250CC●高校3年生
の時、父親にねだって中古のポインターエース
を友人の父が経営する 自動車会社から格安で
購入。 高校への通学やツーリングなど、バイク
のある高校生活を大いに楽しんだ。この バイク
は、私が乗用車を所有する1961年まで乗った
が、転居に際して当時行 きつけのモーター店
に引き取ってもらった。
〇1960年(昭和35年) 普通自動車免許取得、その後大型自動車免許取得 4月に大学入学と同時に自動車部に所属、その年の夏休み中の8月に普通自動車免許を取得、普通車の試験車両は米国製の大きなダッジセダン1950年型だった。 当時京都市伏見区にあった自動車運転免許試験場でバイト中に受験したもの。その時に親しくなった適性検査官が後のJAF顧問の柴田耕次弁護士(故人)。 また、自動車部の遠征時に大型トラックを運転する必要があるため、同年11月に大 型自動車免許を取得した。試験車両はいすずのボンネットトラック5トン車。
〇1961年(昭和36年)8月初マイカー
②)シボレー ベルエァー2ドアセダン 1954年式 ●エンジン:直列6気筒OHV、3500cc、駆動方式:FR、:前進3段MTコラムシフト、サスペ ンション:フロント Wウイッシュボーン, リア リーフ、塗色:ボディがライトブルーで屋根はアイボリーの洒落た2ドアセダン●購入のいきさつ 京都出身で高知在住の叔父が、同年8月の1か月間を家族の夏休みとして一家4人で京都に滞在することになり、その期間の足として叔父所有のシボレーを私が高知から陸送し、1か月間京都で運転することになった。夏休みが終わり一家は高知に帰ることになったが、シボレーにすっかり惚れ込んだ私に同情した叔父が父に安く譲るからと説得してくれたおかげで購入できたもの。 わが家で初めてのマイカーとなり、アメリカのTVホームドラマさながら通学やドライブ、買い物など、車のある生活の素晴らしさを堪能した。
〇1963年(昭和38年)
③トヨペット ニューコロナ1000(PT10) 1960年式 ●エンジン:直列4気筒OHV 1000cc、駆動方式:FR、前進3段MTコラムシフト、サスペ ンション:フロント Wウイッシュボーン,リア コイルスプリング(カンチレバー)の独立懸架●シボレーの代替車として二世代目のコロナスタンダード、ラジオ・ヒーター付の中古 車を購入。 理由は、シボレーの持病である原因不明のサドンデスが年と共に頻発するようになり、信号待ちでのエンストで立ち往生することなど信頼性が低くなったため、先輩の知人に惜譲。 このコロナは、フルモデルチェンジに際してトヨタが「4つのタイヤ以外はすべて変わりまし た。」とのキャッチコピーで話題になった。塗色はアイボリーホワイトで内装は赤、スピードメータ ーは横行ダイアル、ウインカーレバーは朝顔形のステアリングホイールにつけられたホーンリン グと兼用、各種スイッチは横一列のピアノタッチ式など、内外ともに斬新なデザインだった。 当時の国産乗用車はブルーバードが一番人気、中古車もブルに較べてコロナが安価だった のでコロナを購入。 また当時のグレードはデラックスとスタンダードの2種のみで、DXは高価で数少なく、自家用 車でもスタンダードにラジオ・ヒーター付が主流だった。 63年の秋には、わがコロナと自動車部友人のブルーバードとの2台8人で、京都~東京(自動車ショウ見学)~日光(難所のいろは坂)~会津磐梯~大河内ダム~京都までの超長距離走行の自動車部卒業ドライブを敢行したが、見事ノートラブルで走破した。
④コロナの前トヨペット クラウン1500(観音扉のRS20)1958年式を購入し、4ヵ月ほど 乗ったが、調子が悪く購入先の日工自動車で前述のコロナと交換した。
〇1965年(昭和40年)
⑤いすゞ べレット1500 2ドアセダン 1965年式初めての新車 ●エンジン:直列4気筒 OHV 1500cc、駆動方式:FR、前進4段MTフロアシフト、サスペ ンション:フロント Wウイッシュボーン、リア ダイヤゴナルリンクの四輪独立懸架、塗色:アイボリ ーホワイト、車両価格約64万円 ●殆どの乗用車のサスペンションがリジッドアクスル、シフトはコラムシフト(ハンドルチェ ンジ)の時代に、べレットGTと同様の四輪独立懸架とフロアシフトを採用したスポティ な人気車種。 購入時にテールランプをGT仕様に改造、メーターパネルにタコメーターを埋込ん だ。
〇1966年(昭和41年) 9月末に日本経済広告社を退社、10月に社団法人日本自動車連盟(JAF)関西本部に入社
〇1967年(昭和42年)
⑥ホンダN360 1967年式 ●エンジン:空冷並列2気筒OHC 360cc、駆動方式:FF、前進4段MTでレバーはダッシュ ボード、サスペンション:フロント マクファーソン リア リーフ、塗色:ホワイト、車両価格32万 円 ●新車発表6ヵ月後に新車で購入、ホンダ初の軽乗用車、斬新かつ画期的な設計による 高性能かつ魅力的なスタイルで圧倒的な人気車種。京都~大阪への通勤に燃費も良い ので、べレットを先輩の友人に売却して購入したもの。 当時のホンダ技研は、車両のメンテナンスはディラーでなく専用のホンダSFで行っ ており、自宅近く(京都市右京区葛野大路五条)のSFによく通っていたことから、担当 者と親しくなり親切にしてもらっていた。それが後の初代F3チャンピオン佐々木秀六氏 だった。 このN360は約60,000km走行後にジムカーナ仕様に改造(サスペンション変更、ロー ルバー取付けなど)し、琵琶湖スピードランド、大阪、姫路、岡山など各地のジムカーナに 転戦出場した。当時のJAFB級ライセンスと鈴鹿サーキットのスポーツライセンス
〇1968~9年(昭和43~44年)頃
⑦日産セドリック2000スペシャル6 1965年式(二世代目セドリック) ●エンジン:直列6気筒 OHC 2000cc、駆動方式:FR、前進三段MTコラムシフト、 サスペンション:フロント Wウイッシュボーン リア リーフ、塗色:ブルーメタリック、デザインは ピニンファリナによるもので内外ともヨーロッパ調のシックな雰囲気の車。 ●初のクーラー付として新大阪日産モーターから中古車を20万円で購入した。当初から艶のなかったメタリック塗装の状態が更に悪化したため、1年後にオ ールペイントを実施、屋根は当時流行のレザートップ(アイボリー)にした。
〇1969年(昭和44年)
⑧日産スカイライン2000GT(GC10) 1967年式、●エンジン:直列6気筒 OHC 2000cc、駆動方式:FR、前進4段MTフロアシフト、サスペ ンション:フロント マクファーソン リア セミトレ、塗色:アイボリーホワイト ●人気絶頂のスカG(ハコスカ)にどうしても乗りたくて、懇意の日産プリンスのフロントマ ンから1年半落ちの極上車を60万円で購入(新車価格は90万円超)。セドリックからの代替え。
〇1970年(昭和45年)
⑨スバル360スーパーデラックス 1967年式 ●エンジン:空冷2サイクル2気筒 360cc、駆動方式:RR、前進3段MTフロアシフト●オー バードライブ付、塗色:アイボリーホワイト ・スカGと同時期に、スバルの中古車を先輩から購入。 専ら大阪への通勤に使用した。 この時期、二人の弟が運転免許を取得したので、クルマが2台必要になったために増 車したもの。
⑩トヨタパブリカ800 1967年式●エンジン:空冷水平対向2気筒 OHV 800cc、駆動方式:FR、前進4段MTコラム、サス ペンション:フロント Wウイッシュボーン リア リーフ、塗色:ホワイト●スバル360からの代替。スバルサスペンションの「ヒョコヒョコ」が大阪への長距離通勤 (片道50km超)にこたえるため、乗り心地が良くかつ燃費の良いパブリカ800を同僚 から譲ってもらった。
〇1972年(昭和47年)7月、JAF京都支部へ異動
⑪マツダキャロル360 スタンダード (年式不明)●エンジン:水冷直列4気筒 OHV 360cc、駆動方式:RR、前進4段MTフロアシフト、 サスペンション前後ともトレーリングアームの独立懸架 ●通勤用として中古車を支部職員から格安(10,000円)で購入した。パブリカ800を知 人に乞われて譲ったため通勤用としての代替
⑫日産ローレル 2ドア ハードトップ2000カスタム(C130) 1972年式 ●エンジン:直列4気筒 OHC 2000cc、駆動方式:FR、前進4段MTフロアシフト、サス ペンション:フロント マクファーソン リア セミトレ、塗色:白 ●二世代目ローレルハードトップの新車を1972年6月に新大阪日産モーターから購入。アメリカ車の雰囲気を持つ斬新なデザインの2ドアハードトップに魅了されて弟たち と相談の上、スカイラインGTを下取りにして入れ替えることに。エンジンは高回転 型のG20。購入と同時にコスミックのアルミホイールに70扁平ラジアルタイヤのヨコ ハマGTスペシャルを装着。当時最先端のカッコイイ足回りだった。
〇1973年(昭和48年)頃
⑬VW1300 ビートル 1965年式●エンジン:空冷水平対向4気筒 OHV 1300cc,駆動方式:RR、前進4段フロアシフト、 サスペンション:フロント トーションバー リア スイングアクスル、塗色:ホワイト●弟用として、懇意のヤナセ代理店から中古車を購入。初期の6Vを12Vに換装した車 両で充電量不足のためバッテリーが上がり気味だったが、この車でVWのクルマ作り のコンセプト、独特のデザインやしっかりしたサスペンションなど国産車では味わえ ない運転の楽しさを実感した。
〇1975年(昭和50年)頃
⑭VW1303S 1973年式 ●エンジン:空冷水平対向4気筒 OHV 1600cc駆動方式:RR、前進4段フロアシフト、 サスペンション:フロント マクファーソ リア セミトレ、塗色:ブルーメタリック●1年半落ちでクーラー付きの極上車を京都ヤナセから購入(80万円)。VWの魅力に 惹かれて、ローレルから乗換えた。 VWはしっかりした絶妙なサスペンションによって走行性能が素晴らしく、ビート ルのデザインは長く乗っても飽きが来ず全く古さを感じることがない、など美点 の多いクルマだった。
〇1978年(昭和53年) 4月 本部モータースポーツ部へ異動
⑮日産セドリックGL(230H) 1975年型 ●エンジン:直列6気筒 OHC 2000cc、駆動方式:FR、前進3段ATコラムシフト、 サスペンション:フロント Wウイッシュボーン リア リーフ、塗色:ブラウンメタリック●東京で使用するために購入。初めてのAT車で、パワステ、パワーウ インドゥ、ATコラムシフト、6人乗りの4ドアセダン。 この数年前に関西本部事務局長から「これからのクルマはATが主流だ」との説を聞 かされたとき、「4速フロアシフトでなければクルマではない。」と答えていたが、いざ、AT車に乗って見るとこれが最高で、「さすが先見の明」と敬服。
〇1979年(昭和54年)
⑯ ヤマハバイク 250c.c. ●この年のゴールデンウィーク期間中にモータースポーツ部飯田 治氏所有のバイク●ホンダ400FOURを預かることになったことがきっかけで、バイク熱が再燃。 京都の友人からヤマハ250c.c.(2サイクル2気筒)を購入し、横浜藤が丘から通勤に使用した。
〇1980年(昭和55年)
⑰スズキGS750G 1980年式●エンジン:並列4気筒 DOHC 750cc、駆動方式:シャフトドライブ、塗色:ダークブルー ・バイクの勘が戻るとヤマハ250では物足りなくなり、当時JAF技術委員だったスズキ 自動車の鹿毛さんの紹介でナナハンの新車を購入。 この頃モータースポーツ部でバイクが大流行、飯田ヤマハ750E、原島ホンダ 750fourボルドールなど。通勤やサーキット 通いなど、車に代わって活躍。サーキット に行くと長谷見昌弘さん、星野一義さん など二輪出身のドライバーやオフィシャル 達に羨ましがられた。後年、妻から「危ない のでやめて」といわれて、泣き泣き1986年 に友人が懇意の大和市の整備工場に引き 取ってもらった。
〇1981年(昭和56年)
⑱日産レパード280X・SF-L4ドア 1980年式 ●エンジン:直列6気筒 OHC 2800cc、駆動方式:FR、前進3段ATフロアシフト、サスペ ンション:フロント マクファーソン リア セミトレ、塗色:シルバーメタリック ●セドリック230の代替として、スポーツ委員の瀧 進太郎氏(故人)から中古車を購入。 日産が気合を入れて設計したスペシャリティーカーでBMWを徹底研究したと言われ、 走行性能は抜群だった。瀧さんが購入したときから「手放すときは安く譲って」と願って いたクルマ。
〇1986年(昭和61年) 追突事故で負傷
12月10日モータースポーツ表彰式の準備のため愛車レパードで通勤途上、東名から首都高速の用賀料金所に入る直前で渋滞中に、居眠り運転の10tトラックが110km/hで突っ込む6重衝突に遭遇。後から3台目(前から2台目、他の2台は左横)で外傷は軽い方で、高速警察隊員曰く「あなたは良い車にのっていたので軽傷で済んだ」と。通勤時間の渋滞のためか20分後にようやく到着した救急車で近くの玉川病院へ、鞭打ちと肋骨4本骨折。レパードはアコーデオン状態で全損、車は暫くお休み)
〇1987年(昭和62年)6月
⑲マツダ・ルーチェ2000ターボ 1987年式 ●エンジン:V型6気筒 OHC 2000ccターボ、駆動方式:FR、前進3段ATフロアシフト、サ スペンション:フロント マクファーソン リア マルチリンク、塗色:ホワイト ●追突事故で全損となったレパードの代替、セダンとして当時評判の高かったル ーチェをマツダスピードの大橋孝至氏(故人)の紹介でマツダオート東京から購入。久々 の新車。
〇1990年(平成 2年)12月
⑳日産フェアレディ300ZX2by2(Tバールーフ) 1990年式●エンジン:V型6気筒 DOHC 3000cc、駆動方式:FR、前進4段ATフロアシフト、サス ペンション:フロント マクファーソン リア セミトレ、塗色:シルバーメタリック ●この年に弟がスバルの小関典行さんから購入したAudi 90 Quattoro(中古車)を試乗したところ、抜群の高速走行性能に感激。私も高速走行性能に優れたクルマが欲しくなって、フェアレディ300Zの新車を神奈川日産から購入。ディラーで「横浜33の8800」のナンバーを取得してくれた。以後のマイナンバー「8800」の始まり。
〇1994年(平成6年)8月
㉑ジャガーXJ4.0ソブリン 1991年モデル(1990年12月登録)●エンジン:直列6気筒 DOHC 4000cc、駆動方式:FR、前進4段ATフロアシフト、サス ペンション:フロント Wウイッシュボーン リア ウイッシュボーン/コイル、塗色:ガンメタリ ック●スポーツ委員の瀧進太郎氏(故人)に、発売されたばかりのメルセデスベンツCクラ スの購入について相談したところ、同氏のジャガーを譲ってもらえることになり500 万円で購入。購入に際して瀧氏から「奥さんには、しばらく借りていることにしなさい。」とのアドバイスを得てその通りに。 ついに究極の車に到達したと思った。
〇1999年(平成11年)9月
㉒ジャガー・XJ4.0 V-8 EXCURUSIVE 1999年式●エンジン:V型8気筒 DOHC 4000cc、駆動方式:FR、前進4段ATフロアシフト、サス ペンション:フロント Wウイッシュボーン リア ウイッシュボーン/コイル、塗色:シャーウッ ドグリーンメタリック ●ジャガーの魅力を満喫した生活を続けているうちに、どうしてもフルモデルチェン ジした新車が欲しくなり、10年間乗る約束で、清水の舞台から飛び降りたつもりで購入したもの。
〇2005年(平成17年)6月
㉓BMW 530iM-SPORT 2005年式 ●エンジン:直列6気筒 DOHC 3000cc、駆動方式:FR、前進4段ATフロアシフト、サス ペンション:フロント Wジョイントストラット リア インテグラルアーム式コイル、塗色:チタ ンシルバーメタリック ●妻用の車として、BMW1シリーズや3シリーズを見るため何度かショールームに通っていたところ、担当者と親しくなって少しずつ心がBMWに傾いていった。それまではジャガーに充分満足していたが、BMW5シリーズに試乗したとたん、一般道はもちろん高速道路での走りの素晴らしさ(駆け抜ける歓び)を知って瞬時に心変わり。
〇2006年(平成18年)6月
㉔BMW Z4 2.5 2006年式●エンジン:直列6気筒 DOHC 2500cc、駆動方式:FR、前進4段ATフロアシフト、サスペ ンション:フロント マクファーソン リア セントラルアーム/コイル、塗色:レッド●ロードスターに乗りたくて、私から妻に強く薦めた結果、妻用(水戸の実家用)のトヨタ ヴィッツの後継車両として、世田谷区等々力のヤナセバイエルンから新車を購入。箱根や仙台へのドライブなどロードスターならではの快適さを大いに楽しんだ。
〇2007年(平成19年)4月 関東本部事務局長を退任。 同年6月JAF理事を役員定年により退任、 同年11月26日二子玉川から水戸市笠原町に転居
〇2009年(平成21年) 6月
㉕ホンダ インサイト 2009年式●エンジン:直列4気筒 OHC 1300cc+モーターのハイブリッド、駆動方式:FF、CVTフ ロアシフト、サスペンション:フロント マクファーソン リア トーションバー、塗色:レッド●水戸に転居してからは、BMW 530とZ4との2台使用となったが、日常の使い勝手 から530の使用頻度が高く、Z4の出番が少なくなったので、購入後3年しか経たず 誠に惜しいところだが代替することを決断。妻用として日常使用に適しているハイ ブリッドのインサイトの新車を前茨城支部長のホンダカーズ茨城北から購入。2014年 (平成24年)10月まで有効に活用した。
〇2009年(平成21年)10月
㉖Audi A6quattro 2.8 2009年式●エンジン:V型6気筒 DOHC 2800cc、駆動方式:FR、前進4段ATフロアシフト、サス ペンション:フロント 4リンク リア Wウイッシュボーン、塗色:シルバーメタリック ●弟の依頼でAudiQ5のカタログを入手のため、BMWからAudiに転職した懇意のセー ルスを訪ねてAudi目黒へ、試乗を薦められてquattroの高速性能の素晴らしさと好 条件に惹かれて、BMW530iM-sport(46,000km走行)を下取りにして購入した。
〇2012年(平成24年)3月 2台所有を1台に
これまで私と妻とで2台の車両を所有していたが、妻が単独で運転しなくなったことに加え経済的理由もあって、1台とすることに決定。 維持費の大きなAudi A6quattro を車検前に処分し、ホンダインサイト1台とすることにした。
インサイトは、日常の使用のほか、月に数回の東京往復やゴルフ場通いに加え、鈴鹿サーキット などへの長距離ドライブにも活躍。ただ高速走行性能や乗り心地に満足できず「高速走行性 能に優れ、かつ妻が運転できるサイズの1台を」と、種々比較検討の末、取り回しが良く完成度の高 いメルセデスベンツCクラスに行き着いて7月に発注した。
○2012年(平成24年)10月 ㉗Mercedes Benz C180ステーションワゴン アバンギャルド 2012年式 ●エンジン:直列4気筒 DOHC 1800ccターボ、駆動方式:FR、前進7段ATフロアシフト、サスペンション:フロント 3リンク ストラット リア マルチリンク、塗色:シルバーメタリック ●新車到着以後は、京都、神戸、姫路などの長距離ドライブや東京往復に活躍中、優れ た操安性はAudi quattroに劣らず、長距離走行にも疲れないクルマで燃費も東京往復 で15km/ℓ。 これまでの私の候補車両の中にメルセデスベンツはなかったが、今回乗ってみて初めてその設計思想、製品に対するこだわり、安全性と安心感、快適な走行性能、抜群の取回しなどの様々な良さが分かった。
○2015年(平成27年)3月 (28)Mercedes Benz C200ステーションワゴン スポーツ 2015年式 ●エンジン:直列4気筒 DOHC 2000ccターボ、駆動方式:FR、前進7段ATフロアシフト、 サスペンション:フロント 4リンクWウイッシュボーン リア マルチリンク+エアサスペンショ ン安全装備:レーダーセーフティパッケージ、塗色:ダイヤモンドホワイトメタリック●2012年のC180ステーションワゴン購入時には、ワゴンには先進安全装備の「レーダーセーフティパッケージ」のオプション設定がなかったが、今回のモデルチェンジで装備された。今後の安全運転に必須と考え、新型のC200ステーションワゴン スポーツ、レザー仕様を1月に発注、3月に納車された。 期待したレーダーセーフティの効力は絶大で、所謂アダプティブクルーズコントロールをセットしておけば、ステアリングホイールに軽く手を添えているだけでアシスト機能が働いて、クルマは自動運転さながら設定速度でコーナーをクリアして行く。特に視界が不十分な夜間の高速道路走行などでは、無茶な進路変更による直前への飛び出し車両があっても、即座に自動的に減速してくれるので安心して走行できる。しかもこれらの一連の動作が極めてスムーズにおこなわれるため余裕を持って運転を楽しめる。 また、エアサスによる常にフラットな乗り心地は抜群で、前のC180ステーションワゴン特有の後輪の跳ねる感じ全くなく、全てに大満足。
2016年(平成28年)
㉙? オープン2シーター
BMW Z4の快適さが忘れられなくて(処分したことを後悔している)、今もチャンスがあればメルセデスベンツSLKなどの小型のオープン2シーターが欲しくてたまらない。
2.65歳を過ぎたいまのクルマ選びのMUST
齢を重ね特に70歳を過ぎると、一般的に
(1)様々な要因による視力の低下、
(2)反射神経の衰え、
(3)バランス感覚の低下、
等々が進行してくるので現役時代のような技量を維持することが難しくなってくる。そこで、万一の場合に備える意味からも緊急ブレーキ等の安全運転補助機能が装備されたクルマが望ましいと考える。 最近の安全装備は、複数のミリ波レーダーやステレオカメラ等を駆使することによって前走車や歩行者への衝突回避をはじめ、高速走行時の前走車への追随や衝突回避、サイドミラーの死角に車両がいる場合の衝突防止、車線逸脱防止など優れた機能を備えていて安心と快適を提供してくれるのでとても頼もしい。 とは言っても、そのような装備は万一の場合の保険のように考えるべきでなものであって、運転するときは自身の技量を120%働かせて常に安全運転に心がけることは言うまでもない。 そのような訳で、私は2015年3月にレーダーセーフティの装備された「新型メルセデスCクラス C200テーションワゴン スポーツ」を購入した次第。勿論、年齢にかかわらず、いつまでもスポーツカーなどマニュアルシフトの運転を楽しみたいと思いがあるが、それは日常的に使用する車ではなく2台目、3台目のクルマとするのが良いと考える。
3.自動運転のクルマについて
上記2で述べたように、現在でも一部自動運転に近い機能が装備されており、各自動車メーカーは一層の事故防止を目指して自動運転の実験走行を始めており、近い将来一部地域から実用化されるであろう。 自動運転によってクルマを運転する楽しみが失われるとの考えもあるが、私自身は事故防止に役立つのであれば大いに歓迎すべきであると考える。 もし、それを望まないのであれば、自動運転装置つきのクルマであっても従来通り自分の技量で運転することも可能であるから。
4.何歳までクルマを運転できるか
死ぬまで運転したい。